不安を感じたとき、その理由をはっきりさせようとする人は少なくありません。理由が分かれば状況を整理できるはずだと考えるのは、ごく自然な反応です。ただ、理由を探し続けるうちに、かえって気持ちが疲れてしまう状態に入ることがあります。
この状態は、考え方の弱さや心の問題だけで説明できるものではありません。多くの場合、不安の原因が一つに定まらない構造そのものが、負担を生んでいます。
不安の理由を探そうとすると、過去・現在・将来の要素が同時に意識に上りやすくなります。生活、健康、お金、人間関係など、複数のテーマが並行して浮かぶこともあります。それぞれが小さな不安として存在している場合、「本当の理由」を一つに絞ることは簡単ではありません。
理由が分からないままでは落ち着かないため、さらに考え続けようとします。しかし、問いの数が多く、答えが分散している状態では、思考は終わりにくくなります。その結果、考えているのに整理されない感覚が強まり、消耗が進んでいきます。
また、不安の理由を探す行為には、判断や決断が前提として含まれていることがあります。原因が分かれば、次に何をすべきかを決めなければならない。そうした前提が無意識のうちに重なり、理由探しそのものが休まらない作業になっていきます。
このとき、不安は「解決すべき問題」として扱われ続けます。ただ、すぐに結論を出せない状態や、整理の途中にある感覚も存在します。それらは停滞や失敗ではなく、構造的に生じやすい一つの状態です。
理由を探して疲れてしまうとき、不安そのものが強まっているとは限りません。不安の量よりも、考え続けている時間や思考の負荷が、気持ちを重くしている場合があります。そのため、「なぜこんなに疲れているのか分からない」という感覚が残りやすくなります。
不安の理由がはっきりしない状態は、異常でも特別でもありません。複数の要因が重なり、まだ整理の途中にある状態とも捉えられます。理由が見つからないこと自体よりも、理由を特定し続けようとする負荷が、疲れとして表れている場合もあります。


