正しさとは別に、言葉が届きにくくなる家族の中の状態

家族の中で話をしていると、内容は同じはずなのに、言葉の通り方が変わると感じる場面があります。
正しさや説明の丁寧さとは別のところで、受け取られ方に差が出る状態です。

たとえば、ある連絡文の表現について意見を伝えた場面。
言い回しのニュアンスや、相手にどう伝わるかという点を指摘したものの、その意図はあまり重く受け取られませんでした。
その後、別の立場から同じ内容が示されたときには、大きな抵抗なく受け入れられた、ということがあります。

このような出来事があると、「言い方が悪かったのではないか」「説明が足りなかったのではないか」と考えやすくなります。
しかし、内容を比べてみると、伝えていること自体に大きな違いがない場合も少なくありません。

起きているのは、言葉の中身の問題というよりも、「誰の言葉として置かれたか」による差です。
家族の中では、役割や立場によって、言葉の重さが最初から決まっている場合があります。

特に、日常的にやり取りしている相手の言葉ほど、軽く扱われてしまうことがあります。
近さゆえに新しい情報として認識されにくく、「いつもの意見」として処理されやすくなるためです。

この状態では、内容が正しいかどうかとは別に、言葉が十分に届く前に判断が終わってしまいます。
そのため、どれだけ整理して話しても、反応が変わらないことがあります。

このとき、「もっと分かりやすく伝えなければ」「説得できなかった自分の問題だ」と受け止めてしまうと、負担が大きくなります。
しかし、通らなかった理由が、説明不足や努力不足とは限らない場合もあります。

言葉が届きにくくなる構造が、関係性の中にすでにできていることもあります。
その構造の中では、内容を変えても、話す順番を変えても、結果が大きく変わらないことがあります。

この状態は、誰かが悪いから起きるものではありません。
また、理解してもらうまで粘るべき状況とも限りません。

「同じ言葉でも、通り方が変わる状態がある」と整理することで、
伝わらなかった出来事を、自分の至らなさだけで回収しなくて済むようになります。

解決や納得に至らなくても、起きている構造に名前がつくだけで、
受け止め方が少し変わることがあります。

家族の中で言葉が通らなかったと感じたとき、
それは説明の問題ではなく、状態の問題かもしれません。

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