話し合いを避けるようになる関係は、冷え切った関係や無関心と結びつけて捉えられがちです。しかし実際には、関係が壊れたから話さなくなるのではなく、話すことで消耗が増えるために距離が取られている場合もあります。
本来、話し合いは相互理解を深める手段として語られることが多いものです。ただ、関係の中で役割や前提が固定されている場合、話し合いは調整や共有の場ではなく、説得や配置換えの場になりやすくなります。
特に、一方の常識や理想が前提として置かれる構造では、もう一方が説明や納得を求められる立場に回りやすくなります。この状態が続くと、話すこと自体が負担となり、避けたい行為として意識されやすくなります。
話し合いをしたくないと感じる背景には、感情的な拒絶よりも、これ以上役割を引き受けたくないという感覚が関係している場合があります。話せば話すほど、自分の選択や感覚が修正対象として扱われる構造が見えているとき、距離を取る方が生活は安定しやすくなります。
雑談を避けたくなる感覚も、同じ流れの中で起きやすいものです。何気ない会話の中に期待や判断が差し込まれる関係では、軽いやり取りであっても緊張を伴いやすくなります。
話し合いをしない選択は、関係を放棄する行為とは限りません。消耗を増やさないための調整として、機能している場合もあります。
重要なのは、話し合いの有無そのものではありません。その関係の中で、生活がどのように保たれているかを見ることが、一つの整理軸になります。話さないことで安定している状態が続いているのであれば、それも一つの関係の形として捉えることができます。

関係を続けるかどうかより、生活が保たれているかで考える
関係がつらいと感じたとき、多くの場合は「続けるか、やめるか」という二択で考えられがちです。しかし実際には、その判断がつか...

