決めなければいけないと分かっているのに、判断できないまま時間だけが過ぎていく。
何かが大きく止まっているわけではないのに、落ち着かない感覚だけが残る。
このような状態が続くと、理由の分からない疲れを感じることがあります。
決断できないことは、意志の弱さや優柔不断さとして扱われがちです。
しかし実際には、判断しようとしている対象そのものが、すでに重くなっている場合もあります。
迷っているというより、どこから考え始めればよいのかが見えなくなっている状態に近いこともあります。
決められない背景の一つに、判断の範囲が広がりすぎていることがあります。
一つの選択のはずが、将来の生活や人間関係、金銭面など、複数の要素を同時に含んでしまう。
その結果、何を基準に判断すればよいのかが分かりにくくなります。
また、「一度決めたら戻れない」という前提が強く意識されると、判断はさらに難しくなります。
選択そのものよりも、選択後に生じる責任や影響が先に意識されるためです。
この状態では、決断は行為というより、負担として感じられやすくなります。
決められないままでも、日々の生活は続いていきます。
大きな支障が出ていない限り、周囲からは問題がないように見えることもあります。
しかし内側では、判断を保留し続けていること自体が、少しずつ疲労として積み重なっていきます。
この疲れは、何もしていないから生じるものではありません。
常に「決めなければならない」という意識を持ち続けながら、決めきれない状態を維持している。
思考が止まらないまま、出口が見えない状態が続いているとも整理できます。
決められない状態は、必ずしも異常でも失敗でもありません。
条件や情報が揃っていない段階で判断が進まないのは、自然な反応でもあります。
それにもかかわらず、決められないこと自体を問題として背負ってしまうと、負担は大きくなりやすくなります。
「なぜ決められないのか」と考えるよりも、
今、どこまでの範囲が一度に判断対象になっているのか。
どの前提が、判断を重くしているのか。
そこを整理するだけでも、状態の見え方が変わることがあります。
決断を急ぐことよりも、
決断を求められている状態を、どう受け取っているのか。
その視点を持つことで、つらさの正体が少し輪郭を持つ場合もあります。
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